本当にもう、無茶苦茶だ。余りに余りだ。 どうしてこんなことになるんだろう。
立ち止まれないのか?どうしても立ち止まることは無理なのか? 文科省自身、10年前の使えない電子黒板の愚は繰り返さないと言っていたのに、まさに同じ道程にあるのではないのか?
誰もGIGAスクール構想それ自体には反対していない。止めろとは誰も言っていない。むしろ皆やるべきだとおもっているのだ。それはいいんだ。 しかし、制度設計とスケジュールが滅茶苦茶だ。
当初想定されていた「補助金執行団体」は“何か無理っぽい”の一言で取りやめ。総務省はやっているんだから、できないことは無いと思うのだが。 校内LAN整備も、京都の説明会でどっかの担当者が「国費が足りないのは確実なのではないか?」といっていたが、「そんなことには絶対ならない」と言っていたのに、「やっぱ足りないから要望額を下げろ」とか。 業者に複数見積を取れとは言うが、業者はタダでやることになる。学校数が多ければそれだけ負担になる。見積だって本当はタダじゃないんだ。 最初から一定の条件(クラス数とか学校棟数)で総額シーリングをかけたり、スイッチやAPのスペック上限が示されれば、それはそれで皆納得したはずなんだ。それに合うように工夫できたんだ。なのに後になってこうなって、終わったはずの作業をまたやらないといけなくなった。
またタブレット本体に補助はついても、保守とか支援員とか研修とかは自治体負担となる。何の議論もないまま一気にタブレットが導入されて、もう、壊れたままのタブレットが学校の倉庫に積みあがった未来しか見えない。
GIGAスクール構想は、教育ICTに遅れた自治体のかさ上げを目指したはずだが、むしろ間違いなく「既に体制が整っていた先進自治体」はより先へ進み、遅れていた自治体は初年度の整備だけは何とかなっても、その後は「継続的な運用ができずに完全停止」となるだろう。ICT支援員のいない学校なら、学校の先生にタブレット管理が丸投げされるだろう。ただでさえ過重と言われているのに、致命的になるのではないか。
文科省は、これが本当に日本の未来に資すると考えているのだろうか。
この先、先進自治体はますます成果を出していくだろうから、そういうところをピックアップして「ほら、やればできるんだ。できない自治体が悪いんだ」と言うのは簡単だ。 仮に、できない自治体の教育委員会の職員が「無能だ!」と叩かれるのはいいとしよう。でも、その自治体の子供のことはどう考えるのか?「無能な職員のいる自治体に生まれて、運が悪かったね」で済ますの?
GIGAスクール構想は国家戦略だという。 仮に自治体の70%が上手くいっても、30%が失敗すれば、それは国家戦略としては失敗なのではないのか?「失敗した30%の自治体は、国家とは見做しません」とはいかないでしょ。これは他の分野、医療でも国防でもインフラ整備でも同じでしょう。
もっと単純に、普通の学校の生徒を想像してみてもいい。成績の良い90%の生徒は評価しても、成績の悪い10%の生徒を「努力が足りなかったお前が悪い」と切り捨てるのと同じでは?
或いは、対応できない自治体は切り捨てることを前提としているのかな。本気でそこまで考えているなら、それはそれで1つの考えだとは思うが。
しかし、これで、GIGAスクール構想の本来の目的の「誰一人取り残すことのない」が実現できるのか。
今回のGIGAスクール構想は全国の教育委員会に大きなインパクトを与え、遅れた自治体に危機感を強烈に与えたのは間違いない。 せめてスケジュールを1年遅らせるだけで、かなりの部分がカバーできるのに、それがどうしてできないんだろう・・・。1年あれば、どんな遅れた自治体でも、教委のGIGAスクール対応組織や都道府県全域にかかる検討会チームの立ち上げ、10年先を見据えた議論に基づく推進計画の作成、自治体負担でやる支援員等の予算要求、先生への説明と納得の引き出し、研修体制の構築など、幾らでも準備ができる。
今のままじゃ、初夏のハイキングの服装のまま、冬の富士山に登るようなものだ。
コロナの関係で中国関係の生産が止まっているらしいから、もう何でもいいから理由を付けてスケジュールを1年遅らせられないか。
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